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2008/02/01

育ての母の死

びっくりするくらい長い間、更新が滞っていました。
何事も継続が大事! なのに…。
以後、気をつけます!



更新していなかった約3ヶ月の間、
私事で恐縮ですが、身内に不幸がありました。



私の家族構成は、母、祖母。


母は私が幼い頃に離婚しており、
その後、母方の祖父母と4人で暮らしていました。


7年前に祖父が他界してからは、
女3人、三世代で暮らしていました。


私が5歳のときからアパレル業界で働いていた母は、
販売コンサルとして、全国に出張が多かったため、
兄弟もいない私は、いつも祖父母と遊んでいました。


海外暮らしの長かった祖父には、
欧米式のテーブルマナーや英語のほか、
競馬やパチンコまで教わりました(笑)。


生涯専業主婦の祖母には、
家事全般を教わったのはもちろん、
絵画や書道、音楽など、芸術・芸能に造詣が深い人だったので、
そういったことを幼い頃から教わっていました。




祖父が他界した後、程なくして、
私はフリーランスになり、自宅で仕事をするようになったので、
アポイントのない日は、三食とも祖母と一緒に食事していました。
近所へ買い物に行く際も、仕事の手が空いていれば、
一緒に行き、ちょっとお茶したりなど、
祖母とのつかの間のデートを楽しんでいました。




一昨年、私は起業するにあたり、実家を出ました。


母は相変わらず忙しく働いているので、
私がいないなると、日中は、祖母は一人きりに。


引っ越しの日、
祖母がとても寂しそうだったのを今でも覚えています。




そして、私の会社設立の日、2006年6月8日、
母に癌が発覚しました。


その後、いくつかの病院での検査を重ね、
7月に入院、8月に手術。


術後の経過は良く、元気になってくれたのですが、
転移や再発の可能性がまだ残っていたので、
9月に再入院。抗がん剤治療が始まりました。



治療はクリスマス近くまでかかりました。
仕事の合間に、ほんの数十分でも母に会いに行ったり、
夜にアポが入っていない日は、祖母と食事をしたり
といった日々が続きました。


立ち上げたばかりの小さな会社ですから、
私事に専念してしまっては、会社が立ち行かなくなります。


とはいえ、
治療に苦しみながらも気丈に振る舞う母と、
「私が替わってあげたい」と泣きじゃくる祖母。
たった二人の家族をほうっておくこともできない。


それまで、実家で甘えさせてもらって、
ようやく小さいながらも会社を作ることができ、
これから母と祖母に恩返しをしていこう、
という時だったのに。


こんなに苦しんでいる二人のそばにずっといて
力になってあげることができないということが
何よりも辛かったです。

なんで会社を作ったこのタイミングでこんなことに、
実家にいたときなら、もっといろいろしてあげられたのに、
なんで今なんだ、
と、運命を呪いたくなったりもしました。


人生でいくつかの試練が与えられる時期というのは、
皆あると思っています。
私にとっては、幼少期に父のことで辛い思いをした次の、
人生2回目の試練の時期なんだろうなと思いました。




でも、もっと苦しいのは癌と戦っている母。
だから、祖母にも、
「今は母を優先してあげよう」
「泣いたら、母が困るでしょ」と、
我慢するよう、何度も言いました。


すると、祖母も、
「あのコ(母)が全快するまでは、私頑張るわ」
と言い、泣きやみ、意を決したような表情になってくれました。




年末の退院後、母は順調に回復し、
半月後の昨年1月中旬から、仕事にも復帰しました。
月1回の検診には行っていますが、ずっと良好な状態です。


祖母とも、これまで以上に仲良くやってくれていて、
私もすっかり安心していました。




それから1年も経たない、昨年の11月、祖母が他界しました。


朝5時に起きて、洗濯をし、
家の中と外を掃除し、朝食を作り、母を起こし、
母を見送った後は10時に買い物に行き…


84歳になっても、毎日、専業主婦として
きっちり家を守ってくれていた元気な祖母が、
突然亡くなりました。




母と私が電話しているときでした。
「トイレに行ってくるね」と母に声をかけた祖母の声が
電話口でかすかに聞こえました。


その1、2分後、祖母はトイレで倒れました。
電話口の母の悲鳴。
「どうしたの!?」と叫びましたが、電話は切れ、
ただごとではないことだけがわかりました。




救急車で運ばれた祖母は、そのまま病院で息を引き取りました。


あまりに突然のことだったので、
母も私も受け入れることがなかなかできませんでした。




私にとって祖母は、
育ててくれた「母」であり、
一緒に遊んでくれた「友達」であり、
勉強や絵、歌、書道を教えてくれた「先生」であり、

そして晩年は、母と孫の心配ばかりしながら、
二人が仕事に専念できるようにと家のことを一切引き受けてくれた
優しくて可愛いおばあちゃんでした。




母が癌になったあと、
「もう絶対再発しないってなるまで、
 完全に元気になるまでは、私頑張るわね」
と、口癖のように言っていた祖母の言葉が思い出されます。


その言葉から、祖母の突然の死は、
母がもう絶対大丈夫ということなんだな、
と思うことにしています。


そう思うことで、
ようやく受け入れることができた気がしています。


祖母がくれたメッセージは、
母と私の最大の心配事をなくしてくれたんだと。




この間の年末年始の休みを利用して、私は実家に戻りました。
約2年ぶりのわが家で、お互いの仕事に支障のないよう、
母と家事を分担しながら、何とか頑張っています。


実家は都内とはいえ、かなり辺鄙なところにあるので、
通勤は大変になりましたし、
そういった生活にまだ慣れていない部分も多いのですが、
なんだかんだ楽しくやっています。


母も一人っ子で、私も一人っ子。
お互い頼れる兄弟もいないですが、
その分、結束は強いようで。


祖母がいなくなったことで、生活全般いろいろ大変になりましたが、
それなりに楽しみつつ、思っていたよりはうまくいっています。




今回の件で、いろいろな方に
大変ご心配ご迷惑をおかけしました。


葬儀の準備や当日、後処理などで、
どうしても仕事ができない時間があり、
お取引先の皆さまにはレスポンスが1、2日遅れたりと
大変ご迷惑をおかけいたしました。


私が会社にいられない時間は、
弊社の井上にすべて任せてしまい、
ずいぶんと助けられました。


そのほかにも、友人知人、たくさんの人に
励まされ、元気を与えてもらいました。


たくさんの方々にご迷惑ご心配をおかけしたことを
この場を借りてお詫び申し上げます。


また、たくさんの元気をくれた皆さまに、
心より深謝申し上げます。


そして、大好きな人たちへ。
心配かけてごめんね。
私はもう大丈夫。ありがとう。

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コメント

はねづさん・・・

りょうこさんのサイトに久しぶりに行って、そこから久しぶりにここに来ました。

私も1月7日に大切な人を突然になくしました。
暫らくは何もする気もせず、デスクでも涙拭いてました。

でも、そのじじいが夢に出てきて「バカ野郎、しんきくせえんだよ!俺の無念をどうにかしろ!」と言いやがったので、昼間は今は元気にしています。酒飲むとだめですが。こいつは64でした・・・。

最近外苑前に行くことが多いです。ちらちら、とナニをナニしていますが、あんまりそうするとナニになっちまうんで。

ほんじゃ、また一緒にバカやりましょう!

とーさん

お久しぶりです。
りょうこちゃんのライブ以来でしょうか。

そして、コメントありがとうございます。

大切な人との別れって、いつかは訪れるものですが、
そうわかっていても、現実になるとやはり辛いものですね。

とーさんと久しぶりに元気に楽しく呑みたいです♪
外苑前にしましょうか(笑)

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